理事会
名誉会長
デニス・バンダーミーア
伝説的なコーチであり、「指導者の指導者」と謳われてきている。バンダーミーア・テニスユニバーシティーの創設者であり代表を務める。テニス史上、彼ほど多くの人たちにテニスを指導してきたコーチはいません。ATPとWTAに初期に登録されたコーチの一人でもあり、国内外で多くのプロやジュニア選手の指導を行い、その中には、何人かのグランドスラムチャンピオンも含まれている。1973年には、「両性の戦い」と言われた、Bobby Riggsと戦ったBillie Jean KingとMargaret Courtのコーチを務めた。1972年には、中東でのテニス指導に対して合衆国政府から功労賞を贈られ、1989年には、アメリカ人の健康に貢献したとしてHealth American Fitness Awardを受賞。1997年にはUS Olympic Developmental coach of the Yearを受賞。1994年には、Tennis Buyers’ Guideの読者投票によってTennis Coach of the Decade(最近の10年間で最も活躍したテニスコーチ)に選ばれ、2004年には、USオリンピック委員会から「年間最優秀啓発指導者賞」を受賞した。長年のテニス指導を通じてのスポーツ科学への貢献を認められて、ロンドンのグリーンウィッチ大学から名誉博士号を授与された。すべての人にテニスを伝えたいという基本姿勢を持ち、車いすテニスの指導のマニュアルやコースを開発し、適応性のある技術指導を行ってきた。プレーヤーの能力を最良で最も効率のよい方法で指導する術を見つける並外れて鋭い才能を持ち、それをスタッフのコーチたちに伝授してきた。
理事長
ロドニー・ハーモン
バージニア州リッチモンドの出身。アーサー・アッシュを崇拝して育ち、テネシー大学とSMUのチームで活躍。テネシー大学時代の1980年にはメル・パーセルとのダブルスでNCAAのチャンピオンに輝き、シングルスではベスト4の成績を収める。その成績を認められて、2010年には「ITA男子大学テニスの殿堂」入りを果たす。
SMUの学生時代、1982年の全米オープンの準々決勝で1980年の全豪オープンの覇者であるブライアン・ティーチャーを破ったが、準決勝では優勝したジミー・コナーズに破れる。このように、大学時代に輝かしい成績を残した彼は卒業後にプロに転向し、ATP56位の成績を収めました。
ニュージャージー州プリンストンでUSTAに加わった彼は、イブ・クラフトのもとで働き、USTAテニス指導者会議の運営に携わりました。その後4年間USTAのナショナルコーチとして、トッド・マーチン、マリヴァイ・ワシントン、アレックス・オブライエンらの指導に関わりました。
一時期、USTAの職を離れて、マイアミ大学の男子チームのハリケーンズの監督となりましたが請われて復職し、フロリダ州ボカ・ラトンのUSTAトレーニングセンター本部で、男子テニスの統括責任者として活躍しました。USTA在職中には2008年の北京オリンピックで、アメリカ男子チームのヘッドコーチの任につきました。
2012年には、ジョージアテック大学の女子チームのレディー・イェロー・ジャケッツのヘッドコーチに就任し、NCAAの大会に幾度かチームを導いています。 2016年と2017年にACCコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞した彼が率いるチームは、現在全米7位にランクされており、今年のNCAA全米選手権に出場することになっています。
副理事長
カール・ヘイル
過去に勤めた幾つかのクラブで、それぞれの場所での仲間と共に多くの収益を上げる貢献をしてきている。顧客の為を考えることが彼の成功に繋がっている。2006年にPTRプロ・オブ・ザ・イヤーを受賞し、2007年にはITFの40才以上のカテゴリーで世界1位に輝いた。ロジャース・カップのトーナメントディレクターであり、過去に、デ杯チーム、フェド杯チーム、ジュニアのナショナルチームのコーチを行った。現在、カナダのトロントにあるドナルダ・クラブのヘッドプロフェッショナル。慈善活動にも熱心で、クラブで開いたダニエル・ネスターとのチャリティイベントでは100万ドル以上もの募金を募り、North York General HospitalとTennis Canada Go for Gold Fundに寄付をした。また、近年Help Hands Jamaica Foundationを立ち上げ、生まれ故郷のジャマイカに5つもの学校を設立するなど、恵まれない子供たちのための支援のために50万ドル以上もの募金を集めて活動している。
書記
エイジェイ・パント
メリーランド州のTennis Center at College Parkのゼネラル・マネージャー。その前は、18年に亘りTennis Corporation of America(TCA)とMidtown Clubのナショナルテニスディレクターを務める。その前は、フロリダ州ブラデントンのニックボロテリー・テニスアカデミーで初心者からワールドクラスのプレーヤーまでの指導を行い、ニューヨーク、ニュージャージー、カンザス、ミズーリ各州でのアーサー・アッシュ/ニック・ボロテリーテニスプログラムのコーディネーターを務める。PTRのマスタープロフェッショナルであり、1993年にはPTRテスター・オブ・ザ・イヤーを、2000年にはクリニシャン・オブ・ザ・イヤーを、2004年にはプロ・オブ・ザ・イヤーを受賞。USTAのレクリエーションコーチワークショップの主任指導員で、全米カーディオテニスとウィルソン・スピーカーチームのメンバー。USPTAのマスター・プロフェッショナルでもあり、2001年には競技者育成スペシャリストとしての認定を受け、2006年にはUSPTAミズーリヴァレー施設管理者賞を、2007年にはミズーリヴァレー協会長賞を受賞。USTAの10歳以下テニス振興の議長も務めている。
理事
ルチアーノ・ボッティ
PTRのマスタープロフェッショナルであり、1998年にはPTRヨーロッパ・プロ・オブ・ザ・イヤーを、1996年にはPTRプロ・オブ・ザ・イヤーを受賞。欧州各国のテニス協会との協力の下、各国のテニスの発展に大きく寄与し、特にイタリーでのテニスの普及発展に大きく寄与した。テニス施設や行事の管理運営に携わる“Lu Botti International”の代表を務める。5カ国語に堪能であり、Tennis Italiano等の雑誌に寄稿している。
理事
オイヴィンド・ソルヴァルト
1980年からのPTRのメンバーであり、1992年からはテスターを務め、現在、ノルウェーテニス協会のハイパフォーマンスと指導者教育のディレクターを務め、20年以上に亘って指導者教育のコースを取り仕切っている。近年、オスロに国内のトップレベルプレーヤーのために”TEN4アカデミー"を設立した。また、PTRとノルウェーテニス協会共同のテニスシンポジウムを発案開催し、PTRの認定ワークショップも開催している。テニス・ヨーロッパの普及委員会のメンバーでもある。バンダーミーア・テニスのディレクターを務めたのち、オスロ・テニスクラブのディレクター、ナショナル・テニスセンターのディレクターを歴任する。30年以上の指導経験を持ち、ビデオ解析には25年の経験を持つ。また、ITFの”Intro to Tennis”委員会(10&Under, Play & Stay, TennisXpress)のメンバーでもある。ノルウェーを代表して、ITF年次総会等の業界の各行事に参加している。この10年余り、テニスの戦術と技術的要素を分析するプログラムを開発し、トップ10にいる数名の女子選手の指導をしている著名なコーチたちのためにその知識を提供してきている。この5年では、ノルウェーテニス協会の指導者教育の新しい枠組みを作り上げてきている。PTRのメンバーには2011年に発行された”Effective Ball Feeding Technique”でおなじみでしょう。
ディアウッド・カントリークラブのディレクター。先にUSTAハイパフォーマンスの男子テニスのディレクターを務め、ツアープロからジュニアプレーヤーにいたるまでのプログラム全般を管理していた。また、USTAコミュニティーテニスでは多文化社会部門の責任者を務め、その社会でのテニスの普及に手腕を発揮。プロの選手として、1982年のUSオープンでは、アフロ・アメリカンとしてはアーサー・アッシュ以来初めてベスト8に進出。1996年と1997年には「東部最優秀男子コーチ賞」を受賞、PTRからは1994年に「最優秀コーチ賞」、1998年に「PTRプロオブザイヤー」を受賞している。技術と戦術の指導に関しては定評がある。
理事
レオ・アロンソ
PTRのメンバーになって30年以上。1995年からは、PTRのアルゼンチン代表を務める。PTRのマスタープロフェッショナルでもあり、現在、Carlos BerloqとLeonardo Mayerのコーチとマネージャーを務めている。また、102面のテニスコートと30人のテニスプロが登録しているクラブマネージメント会社"T.S.Management"を設立し代表を務める。USTAテニス指導者会議、PTR国際テニスシンポジウム、ITF地域指導者会議などで、数多くの講演を行ってきている。また、中国、イギリス、イタリー、スペインや全てのラテナメリカ諸国で200以上ものワークショップで指導してきている。PTRからは、最優秀プロフェッショナル、最優秀ツアーコーチ賞、最優秀クリニシャン、最優秀テスター、PTRアルゼンチン最優秀プロフェッショナルを受賞している。
理事
パット・バンダーミーア
ワシントンDCのアメリカン大学で教育学を修了。過去には、デニスとともに世界をめぐり、ジュニアグランドスラムやプロ選手たちの好成績に繋がる指導を続けてきた。サウスカロライナ州のUSTAプレーヤー育成プログラムのエリアトレーニングセンターのヘッドコーチも務め、1991年にはサウスカロライナ優秀コーチ賞を受賞。1993年には、PTRコーチ・ヴァーデック賞を受賞。2002年には、国際テニスの殿堂からテニス教育功労賞を授与される。デニスのこれまでの偉業を継承することに熱意を燃やし、テニスにも人生にもポジティブであることの大切さを体現している。
前理事長
ホルヘ・アンドリュー
PTRマスタープロフェッショナルであり、ベネズエラのデ杯チームの選手と監督を歴任。プロツアーで10年以上も活躍をした。1991年にはPTRプロ・オブ・ザ・イヤーを、2003年にはPTRサウスカロライナ州メンバー・オブ・ザ・イヤーを受賞。USTAサウスカロライナの副支部長、USTAナショナルジュニアチーム委員会の副委員長を務める。また、ナショナル・カーディオテニスのスピーカーチームの代表、HEAD社のナショナルスピーカーとアドバイザリースタッフとして活躍している。現在、南カロライナ州のCayce Tennis & Fitness CenterとLexington Country Tennis Complexの合計51面のコートを活用する、Lexington County Recreation Commisionの責任者を務めている。